公開 | 2005/05/04 |
撮影 | 2005/05/03 |
中韓朝がいちゃもんをつけている靖国神社に参りました。
場所はこのあたりでございます。
すぐ北側に白百合学園という女子幼稚園と女子小学校と女子中学校と女子高等学校があります。設立母体はシャルトル聖パウロ修道女会で、要するにキリスト教系の学校です。先般亡くなられたヨハネ・パウロ2世が1981年に来日された折、白百合学園の生徒から「通学路に靖国神社があるのですがどうすればいいですか?」と問われました。パウロ2世は、「頭を垂れて通りなさい」とお答えになったそうで、それ以来、靖国神社の前で頭を下げる白百合学園の生徒の姿が見られるようになったということです。なかなかいい話だと思います。
さて、地下鉄九段下駅を出ますと、見慣れない建物がございました。「昭和館」だそうです。
「戦中・戦後の国民生活上の労苦を後世代の人々に伝えていこうとする施設」だそうで、とりあえずパスして、九段坂を靖国神社に向かいます。
正面に灯篭が見えます。明治4年に建てられた高灯篭で、当時の九段坂は現在より高く、漁民にとって、灯台の役割も果たしていたそうです。
大鳥居こと第一鳥居が見えました。初代は大正8年に建てられましたが、老衰のため、昭和18年に撤去されました。現在の大鳥居は、昭和49年に再建されたもので、高さ25mだそうです。
「九段の母」という歌がございますが、昭和14年ごろの歌だそうで、「空をつくよな 大鳥居」と歌われております。ちなみに「件 (くだん) のはは」というのは小松左京の怪談でございますね。
今年は、1905年9月5日のポーツマス条約調印をもって終結した「日露戦争百年」でございます。あちこちで記念イベントが行われておるようで、靖国神社でも、「日露戦争百年展」を開催しております。
参道をまっすぐ進みます。
ばか高い台座に乗った、おじさんの像があります。
近代日本陸軍の創設者、大村益次郎だそうです。日本最初の軍歌と言われる「宮さん宮さん(トンヤレ節)」の作曲者ともいわれておりますが、怪しいです。大村益次郎は、靖国神社の前身である東京招魂社の創建に貢献したそうです。東京招魂社は、もともと戊辰戦争の戦没者を祀るために建てられたそうです。で、この銅像はその大村の功績を称えるために、明治26年に建てられたのだそうです。
ちなみに作詞者といわれている品川弥二郎の像は、靖国通りをはさんで、先ほどの高灯篭の隣にあります。
大村益次郎像の手前には、昭和42年に奉納された「慰霊の泉」というモニュメントがあります。
両側には休憩所、売店が並びます。
第二鳥居に向かいます。
中国での反日デモとかございまして、なぜこの時期に国会議員が参拝するのかという論調もございましたが、要するに大祭の日は決まっておるのでございますね。4月22日と10月18日の年2回です。8月15日の参拝もあれこれ言われますが、特に慰霊祭は行われていないようです。ここに祀られているのは太平洋戦争の戦死者だけじゃないからですね。きっと。
境内の案内図と、注意書きです。
神門をくぐります。
犬と報道関係者へのご注意です。意図的に執拗な誘導尋問をしたり、話の一部をカットして発言者の意図を捻じ曲げるという、左翼マスコミへの牽制でございますね。
拝殿にいたる鳥居前では、次々と記念写真を撮影しておられます。
ここにも土産物屋さん。後ろのビルが邪魔ですね。法政大学です。
このようなパンフレットがございますので、ぜひもらっておきましょう。漢字にはルビがふってあります。
拝殿です。本殿はさらにこの奥にあります。
戦争博物館とも言うべき「遊就館」は 別 項 でご紹介するとして、境内の奥には相撲場があります。明治2年以来、春の例大祭には相撲が奉納されているそうです。「国技」と題する像もございました。
神池庭園です。
池をのぞくと、鯉がいっぱい寄ってきます。
わはは。エサをもらえると思ったのか。
市ヶ谷寄りのいちばん奥。霊璽簿奉安殿の裏がわです。
戦友会などの記念樹や奉納樹がたくさんあります。
海軍経理学校正門敷石。
これは憲兵の碑。
南門。市ヶ谷方面に続く美しい塀。
そして再び大鳥居をくぐって九段下に戻るのであった。
んでもって、実はこんなものを買っていたのであった。携帯ストラップ 500円でございます。
えー、最後に関係リンク集でございます。
靖国神社 (公式サイト)