かあちゃんごらんよ

--- Kaachan Goranyo ---
【  曲 名  】かあちゃんごらんよ
【 作曲者名 】不詳
【 作詞者名 】不詳
【アーティスト】高石 友也
【データ作成者】蛞蝓なめちゃん (odasan@ma.catv.ne.jp)
【 データ形式 】標準MIDIファイル(.MID) Format 0 :Timebase=120
【 作成ソフト 】Cakewalk Professional Ver 8.0
【 対応音源 】GM (データ作成時は SC-88 Pro を使用)

70年安保を翌年に控えた 高石友也ファーストコンサート(1969年)で、「ギターがないとフォークじゃないのか、ギターがないと歌えないのか」という自分自身の問いに答える意味で、友也さんはこの曲を伴奏なしで歌っておられました。でもって、このデータは伴奏(部)なしのギターソロです。

作者不詳です。歌われている「旅順の戦い」というのは、日露戦争の旅順港攻略作戦だと思われますから、明治27年ごろの歌ではないかと思います。ロシアの精鋭バルチック艦隊がロシアのあっち側からアフリカをぐるっと回ってインド洋を経て旅順に到達する前に、港を叩いてしまおうとしたわけです。で、海軍は港の入口に老朽艦を沈めて港を封鎖しようとしたわけですが、何度も失敗しました。そして広瀬少佐が亡くなりました。

陸軍は旅順の港を守る二〇三高地の要塞を陥落させようと、乃木希典がこれまた何度も攻撃をかけました。結局成功するのですが、何万という兵が死にました。白だすき隊などと、わざわざ標的として目立つようなたすきを兵に掛けさせ、正攻法ばかりで何も作戦を考えていない乃木の無能さは、後の世の笑いものになっています。あははのは。もっとも、バルチック艦隊をT字作戦で撃破した東郷平八郎にしてもロシア艦隊が北から回ってくれば会敵できなかったわけですから、これも博打ではございました。要するにそんな時代の歌だったわけです。

この歌は曲より詞が重要です。坊やと母親の会話という形になっていて、戦争の悲惨さが、父親の死を実感できない幼児のことばで、みごとに語られています。


かあちゃん ご覧よ むこうから
サーベル下げて 帽子着て
父ちゃんによく似た おじちゃんが
たくさんたくさん 歩いてる
もしや 僕の父ちゃんが
帰ってきたのじゃ あるまいか

夕べも 言うて聞かせたに
早やお忘れか 父さまは
今度の旅順の 戦いで
名誉の戦死を あそばされ
あの仏壇の お位牌よ
あれが坊やの 父さまさ

父ちゃん偉い 死ぬもんか
あの仏壇の 父ちゃんは
何にも ものも言わないし
坊やを抱いても くれないし
ほんとうの 僕の父ちゃんを
連れて帰って ちょうだいな

ほんとうの 僕の父ちゃんを
連れて帰って ちょうだいな