ラバウル小唄

--- RABAURU KOUTA ---
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【  曲 名  】ラバウル小唄
【 作曲者名 】島口 駒夫
【 作詞者名 】若杉 雄三郎
【アーティスト】−
【データ作成者】蛞蝓なめちゃん (odasan@ma.catv.ne.jp)
【 データ形式 】標準MIDIファイル(.MID) Format 0 :Timebase=120
【 作成ソフト 】Cakewalk Professional Ver 7.0
【 対応音源 】GS (データ作成時は SC-88 Pro を使用)

ラバウル海軍航空隊のイメージが強いせいか、「軍歌」だと思っておられる方が多いです。実際、「思い出の軍歌集」なんぞに掲載されていたり、軍歌の店アンカー(福岡中州)では4月の人気第4位にランクされていたりします。でも歌詞の中には、軍艦も飛行機も大砲も鉄砲も基地も日の丸も天皇陛下も出てきません。それどころか、軍人さんさえ登場しないのです。

作られたのは1940年(昭和15年)ごろだそうですが、ラバウルは1942年1月23日に日本軍が占拠するまではオランダの植民地でした。ですからこの歌はもともと副題にもある通り、「南洋航路」の船乗りさんの歌だったのでしょう。それがラバウル基地に勤務された軍人さんたちに広まり、内地に伝えられたのではないかと勝手に推測致します。1944年のヒット曲として紹介されたりしていますから、作られてから4年くらいたっているわけです。同じ年に流行した歌として、他に「ラバウル海軍航空隊」や「同期の桜」があります。ちなみにプロ野球は、阪神タイガースが優勝しておりますね。きゃっきゃっ。

ラバウルの航空隊がトラック島に撤収したのが1943年11月。1945年8月15日の終戦後も、残された兵士たちが山脈を越えて逃げようとしたものの、飢えと寒さで10万人規模の方が亡くなったということです。ラバウルの日本軍がオーストラリア軍に降伏したのは1945年9月6日でした。妖怪漫画でおなじみの 水木しげる さんも、20歳で応召されて、ラバウルの密林でマラリアに苦しめられ、爆撃で左手をなくされています。

ラバウルは、オーストラリアの北、ニューギニア島の東の方、ニューブリテン島の北東の隅にあります。パプアニューギニア国のラバウル市でございます。1994年9月19日にタブルブル、ブルカンというふたつの山が噴火し、市街は灰で埋まりました。幸い、前日夕方の警報で市民は避難をすませており、人的な被害はなかったそうです。旧日本軍の航空基地を転用したラバウル空港も灰に埋まり、現在日本の援助で第二ラバウル空港の建設が進められているといいます。

レコードでは4番までですが、実は5番まで歌詞があります。で、5番まで作りました。いえなに、コピー&ペーストで増やしただけですが...。